いきてる。

何もない状態から始まる日々の軌跡。

自己紹介―今日までの経緯というか何というか。

  ミニストップで買ったくちどけチョコレート。美味しい美味しいと思って食べていると、もうこれだけ?1日にして残り7個。…甘いものは癖になって食べすぎちゃうんですね、気をつけましょう。

 

 改めまして、自己紹介をさせていただきますね。

 

 2015年3月、某MARCHの文学部を卒業しました。就活売り手市場!とか色々言われてたにも関わらず、就職できずに卒業です。無内定。そうです、大卒ニートです。頭は悪いほうです。

 

 この就職活動時期は、家庭内の事情も含めて私の暗黒期。かなり荒んでました。

 包丁振り回して蛇口にたたきつけてボロボロにして、手首をはさみでさっくり切って(浅いですけど)髪の毛むしって禿げて、意識もなく線路に吸い込まれて轢死一歩手前までいって、母を殺すか自分が死ぬかまで追い詰められて、そうしたら母に殺されそうになったりして、某県の山奥にあるシェルターに逃げ込んで………こ、これ改めて見ると散々ですね…w

 

 何をしても楽しくない。寝たきりになったり、気がつけば泣いてたり、あるいは無感情。私の中の「生きてちゃダメだ。死ななきゃ死ななきゃ」という声と、母の「産まなきゃ良かった。死ね死ね」という声の中で、一番心が死んでいた時期です。

 母にとって私は「どうしてここまで私をがっかりさせるんだ。情けない奴め」だそうですよ。…悲しかったですね。

 就職活動以外にも、高校受験・大学受験と、母自身私に対して思うところもあって、この時期に一気に噴出した、という感じなのかなと今は思います。

 このあたりはまた追々と。

 

 あ、ちなみに私、アルバイトの経験も皆無に等しいんですよ。ええ。

 (2016年1月現在、お歳暮の承りの短期アルバイトしか経験してません)

 就職活動時でもそうでしたけど、面接時に挙動不審によくなって、頭真っ白で何言ってるのかさっぱり・・・なんてことばかりで、落ちてばっかでした。意味分かんないことばっかり喋っちゃうんです。自分でも訳が分からん。

 このあたりも母は気に食わなかったんだろうなぁ、と思います。親の気持ちからしたら「それもそうだよなぁ…」とは思いますけどね。

 そんな状態でよく一人暮らし始めたなお前、馬鹿かよ、という突っ込みは結構心が抉られるのでやめてください。

 

 2015年4月20日、家庭内の修羅場が(表向き)落ち着いてシェルターから実家へ帰還。「自分に出来るところから、がんばってみます」そうシェルターを運営する方に伝えて、さてまずは、アルバイトから一歩ずつ…!!

 …と、まぁそんな思い描いたとおり順調にうまくいく訳もなく、実家近辺の重たい苦しい空気に潰され、家庭内もいつもどおりで、結局ひきこもりになってしまいました。…シェルターのあった山奥の空気が今でも恋しい。

 

 この頃の私。タウンワーク等々に掲載されているアルバイトの求人をチェックして、応募しようとしては躊躇って、しようとしては躊躇って、開いては閉じて、開いては閉じて…。その繰り返しで1日が終わる。そんな日々を送ってました。がんばれない。

 若者サポートステーションにも通いましたけど、どうしても、止まっちゃう。

 「やっぱダメだ…」

 学生時代もアルバイトの面接で落ちていたので、そのトラウマです。全然踏み出せませんでした。こんな悩みを打ち明けられる仲間も家族もいなかっため、これまた鬱気味に。

 母からもかなり追い詰められてましたね。いい加減にしろ!が口癖です。元気に戻ってきたと思ったらこの有様ですもんね。そりゃそうだ。

 幼少期からそうでしたが、母が怒らないように、顔色を伺ってばかりでした。怒り始めたらすぐさま身を守るために嘘をつく、あるいはだんまり。

 正確には、母が怒り始めたら、特に意識しなくても口から嘘がどんどん出る、あるいは心の中では反論しているのに声が全く出ない。虚言癖…というのでしょうか?ちょっと調べ不足ですけど、癖になっちゃってるんでしょうね。うーん嬉しくない。

 

 …今思えば、よくここまでで自殺しなかったなぁって。驚きです。

 それはさておき。

 

 2015年10月17日、お歳暮の短期アルバイト(2ヶ月)に受かりました。履歴書や面接では週4日・5時間程度希望としていたはずが、まさかのフルタイム勤務。そして遅番。

 

 初めてのアルバイトが、フルタイムで、遅番、だと…。

 

 不安ばっかりでしたが、そりゃもう、諸々きつかったです!!!はい!!

 体力的にも精神的にも、結構参りましたね。最初のほうは「私だって頑張れるじゃん。大丈夫大丈夫」「ありがとうって言ってくれるとやっぱり嬉しい。接客っていいな」なんて思っていましたが、忙しくなるとそんなこと思っていられず、ピリピリ。マネージャー含めて売り場の空気はもうピリピリ。お客様もピリピリ。

 

 心が亡くなると書いて忙しい。なるほどこういうことかと思いましたね。

 

 私自身もかなりミスが多かったし、お客様怒らせちゃったりして、凹んでばかりいた気がします。「咲ちゃん、変な客ばっかあたるよね~」と主婦の先輩方から言われましたが…本当に…もう……。

 

 ミスをすると、初心者相手だろうが何だろうがお構いなしで暴言罵声で怒鳴り散らかす、レジ研修を担当してくれたあの方。

 表では親切にしてくれたシスターも、実際は「あいつもうホント使えないし!というか私残業だし!!もうやだ帰るわ!」なんて毎日のように怒っていたりして。

 1日に必ずいらっしゃる怒ってるお客様。クレーマーさん。

 そして売り場ではひそひそお客様への愚痴。加えて、同僚やマネージャーへの愚痴も、休憩時間にたっぷり聞かされました。

 

 いや、疲れました。みんな優しかったんだけど、でも怖かった。

 

 ちなみに制服としてパンプスを履いていたのですが、品出し等々でかなりの運動量だったせいか、右足の中指の爪が死にました。内出血が未だに治っていないですし、爪も剥けちゃって…。まだちゃんと伸びてきてません。

 …ものすごい負担をかけてしまったんだな…。痛みはもうありませんが、もし今後大手スーパーでお歳暮やお中元の承りのアルバイトをされる方は、パンプスよりも動きやすいローファーを履くことを勧めます。後悔。

 あと、スカートじゃなくてズボンでも良いじゃないか!と、叫んでおきます。支給されたあのスカートは動き辛いわ!

 

 一番印象に残ってるのは、そこで勤務してるマネージャーや主婦の方々、そして社員さんもみんな口を揃えて言ってたんですよ。

 

 「まぁ、この会社ブラックだからねえ(笑)」

 

 …いやそれ、ブラックとか言っちゃってる時点で笑い事じゃないでしょ…!!と思ったのですが…違うのですか……!?こんなのおかしいよ!

 

 2015年12月18日、賃貸の契約が無事成立。保証会社の審査も滞りなく通りました。貯金額等々も突っ込まれることなく、短期アルバイトの身分でも家を借りることが出来ました!このあたりもいつか書きましょうか。

 

 2015年12月31日、キャリーケースと大き目のカバン一つで、現在の新居にお引越し。引越し業者さんを使うとバレてしまうので、出来る限り少ない荷物だけ持ってきました。布団や電気、タオル等々は現地調達です。…まだ全然ないのですが、無いなら無いで何とかなる物もあったりします。こういう所を発見するの、ちょっと楽しんでます。

 

 

 ・・・と、大体こんなものでしょうか。あれ、思ったより長くなっているぞ!?

 こうして見ると、いや、2015年は暗い時期でしたね……(今後も暗そうな気がしますが)

 

 さて、現在一人暮らしですが、安心して過ごせているかと言えばそうでもないです。まだ1週間しか経っていないということもあるのでしょうが。

 やっぱり先が見えない恐怖と不安でどうしようもないときもありますし、ホームレスになって餓死するのかなぁとか、泣きたくなって実家の布団が恋しくなるときもあります。

 また、今までの家庭環境での癖や習慣が抜けていないので、外から聞こえる車の音や足音にビクッ!ってすることもありますね。これはもうどうしようもないのかな…。

 ただ母親の声が聞こえてこない点は、すごく解放されているなって思えます。胸をぎゅって締め付けるようなあの声はもう聞こえてこないんだ、もう怯えなくていいんだって。

 

 でもやはり、帰る場所がもうない現実だけは変わらないんですよね。その現実しかない、と言ったほうが良いのか。それでも、そんな現実を前にしても、死ぬに死ねない。だったら、もう、生きるしかないんですよね。

 

 今後どうなるかまったく分からないですが、まぁ、死んだら死んだでその時だということで、一日一日をかろうじて生きていければいいのかなと思います。はい。今はそれでいいんだ、そう思っています。

 

 きっと大丈夫、なんとかなるさ。

 大丈夫。